ポレポレだより「2014年夏」


野鳥さん助けてェ〜

ポレポレハウス

「おばちゃん、この本、読んで〜」と、子ども達が差し出す絵本の人気ナンバーワンは、いつも「はらぺこあおむし」だ!
親も「子どもの頃、よく読んでもらいました」となつかしがる絵本!
アメリカの絵本作家エリック・カールによって書かれ、その鮮やかな色とリズミカルな文は子ども達の心をとらえ、日本中、世界中に広まり、カールおじさんのやさしさにつつまれたこの絵本は今も愛され続けている。

たまごからかえった「はらぺこあおむし」が色々なものを食べすぎて腹痛をおこし、みどりの葉っぱの上でゆっくりと休んだら元気になってまた葉っぱをいっぱい食べてさなぎになり、最後は「ちょうちょになっちゃった…」たったこれだけのストーリーなのです。

長い冬が終わり、雪が消えたポレポレハウス……待ちに待った春だ!
花が咲き出しておひさまの光と春の風がうれしい……と、喜んで外に出た私の前を小さな虫がぞろぞろ…ぞろぞろ動いている。
「なんだこれは…?」「マイマイガの幼虫だ!」。日に日に大きくなり、風にのってどこへでも飛んでいく。細い糸にぶらさがり、突然目の前にあらわれるのだからまるで忍者のようだ…。小さい幼虫の頃は毒針の毛にうっかり触ると赤くはれてかゆくなる。だんだん大きくなっていく幼虫は美しいオレンジ色に変身して、顔はよーく見ると目玉のような一対の縦長の黒斑があり可愛い…。
動く時の姿はしゃくとり虫のようで笑ってしまう。体には黒い八の字の斑点があり、目立つ2列の点が並ぶ。体全体に細かい毛があり、足の吸い付きダコのような突起で葉などの裏にしがみついている。葉を食べて大きくなるので周りの木や花は食べられて丸坊主になってしまった。マイマイガ幼虫の量が多すぎて人の力だけではとうていかなわない。それにしてもこんなに大発生したのはどうしてなのか? 
今年の春、鳥たちがあまり飛んでこなかった気がする、ツバメもだ!「そうだ!野鳥の力がいるのだ!」私たちは自然と共にそのサイクルの中で生きているのだ!そのことをエリックカールは絵本の中で「共に生きよう」と伝えてくれていた。
でも、この幼虫たちがサナギになり成虫(マイマイガ)になったら、その半端じゃない多さに野鳥たちも逃げ出すかも…きっと!


 

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ポレポレだより「2014年春(2)」


〜カラスのディナー〜

ポレポレハウス

「朝の光がきれい……」
私はごきげんでベランダのカーテンを開け外に出た。「あれ!」「何やらへんな物体がベランダのすみっこに転がっている」「ギョ…なんだこれは?」。よーく見るとそれは動物の爪先のようだ…。1、2、3…数個ある。夜、何者かがここで激しく戦ったのかしら…? それにしても、転がっているのは動物の爪先だけ…?「イノシシの爪先かな」「いや、カモシカの爪先だよ」「いやぁ、これは鹿の爪先だ…」「それじゃ、カラスがここまで運んできて食べていったってわけ?」「そういえば、数日前からベランダの手すりや、橋の欄干にあけびや、スイカ、トマトがずら〜りと並んでいたなぁ」「あれもカラスの仕業っていうわけ…?」そばのヤギの家からそーっとのぞいて見ているゆきちゃんだけが知っているヒ・ミ・ツ…。
カラスは昔から人間社会のそばで生きのびてきた。「カァカァ」と鳴く声はうるさいし、あの黒い姿はどうも「こすかん」
ポレポレハウス近くにいるカラスは大きくてかしこい。そのカラスの中でとびっきり大きいカラスに私は「かんたろう」と名前をつけた。バサバサと私の頭の上を飛ぶときは「コラァ……かんたろう、あっちへいけぇ」と叫ぶ。
ポレポレハウスの道をへだてた大きい杉の木の上にいつも巣をつくる。そして、草原の森にも、とびっきり大きい木があって、そこにだらしない巣がある。カラスの巣だ。
カラスたちは大声でカァカァといいながら飛びかい、子育てをしている。

♪カラス なぜなくの カラスは山に
かわいい七つの 子があるからよ
かわいい かわいいと カラスはなくの
かわいい かわいいと なくんだよ
山の古巣へ いてみてごらん
かわいい七つの 子があるからよ♪

「コラァ、かんたろう!」
今日も空を見上げ、大声を出して叫ぶ私に
「アホ…アホ…」と言って飛んでいく
かんたろうなのでありました

 

ポレポレだより2014年春
─ポレポレハウスすぐそば、三角の木の上にカラスの巣─

 

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ポレポレだより「2014年春」


〜かた雪かんこ〜

ポレポレだより2013年夏
─かた雪の上を歩くイノシシ─

冬…ポレポレハウス裏の草原は真っ白な雪でうめつくされ静まりかえっている。朝、カーテンを開けると雪の上に可愛い動物たちの足跡がてん・てん・てん…。キツネ・うさぎ・タヌキ・鹿・かもしか、そしてイノシシ。夜の草原はにぎやかだ!山につづく森、川につづく森、その間に広がる雪の草原を動物たちはあっちへいったり、こっちへきたり歩いているんだ!

草原の上では昼に鹿たちが元気よく走り回っている。かもしかは森の木や葉っぱをなめにくる。目があうとジーッとこっちを見ている。そして「ふっ」ときびすを返すとゆっくりと森へ入っていく。キツネやタヌキやイノシシはトボトボと下を向いて歩いている。エサを捜してるんだろう……。野ウサギは足跡のうしろに丸〜いお尻のあとをつけて走る。

晴れた寒い朝…すみきった青い空からチラチラと雪が舞いおりてきた。太陽が草原を輝らすと、あたり一面がダイヤモンドを散りばめたようにキラ・キラ・キラ・キラとかがやきだす。「きれい!」
さらに太陽の光に輝らされた空気中の水分は小さな氷のつぶとなってダイヤモンドの粉末のようにきらめく「ダイヤモンドダストだ!」

毎年3月に入ると草原の雪はかたくなり、雪の上を歩いても「ズボッ」と雪に足をとられる事がなくなる。「かた雪だ!」「かた雪かんこ、かた雪かんこ」と雪の原っぱを、はしゃいで歩く。

カラスが飛んでいる。数がだんだんふえてくる1羽、2羽、3羽……10羽。
カラスがたくさん集まってせわしなく鳴きかわす。こんな日は草原のどこかで動物が死んだのだ。
みとどけに走る……やっぱり鹿が横たわっていた。鹿の上に降り出した雪がやさしくやさしく積もった。


草原に東風が吹くようになると
芽吹きの春はもうすぐそこです。

 

ポレポレだより2013年夏
─晴れた日の草原─

 

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ポレポレだより「2013年冬」


〜みんな可愛い〜

ポレポレだより2013年夏

入院の朝「もう見おさめやなぁ…」と母はそう言って家の中をゆっくりと見回した。入院の準備をし、母を励ましながら自動車にのせて病院へとむかった。
母の病は肝不全…10年間入退院を繰り返していた。1年前には肝臓にガンがある事もわかり、悲しいけれど別れの日が近いことを覚悟した。病状が悪くなるにつれ、ほとんど食事をうけつけなくなり、点滴ばかりの日が続いた。小柄な母の腹部は腹水で異常に膨れあがって、ポトンポトンと腹水を外に出す治療がなされていた。
何か食べて欲しいと思い「今、一番食べたいものはある?」と聞くと「まぐろの刺身なら少し食べてみる」と言った。私は「高山で一番うんまい刺身を買ってくるでな」と、友人のすすめる寿司屋へ走った。ほとんど開かない母の口にまぐろの刺身をひと切れ入れてやると、おいしそうに食べてくれ「ありがとう……もういい」と言った。たったひと切れの刺身でした。ベッドのそばで一緒に過ごし朝には職場にむかう私に、母はベッドの上から小さく手を振ってくれた。ベッドに「トン」とさわるだけで激しい痛みをうったえる母がかわいそうで、担当の医師に「痛みどめをうってやって下さい」とお願いした。そして、血圧をはかることも、あんなに痛がっていた点滴の管も針もみんなはずしてもらいました。痛みどめの注射をうつと、やっとで母は痛みから解放されスヤスヤと寝息をたてて一昼夜をグッスリと眠りました。その夜、母のベッドの下で横になり、私は息を殺して泣いていた。すると母が小さな声で私に呼びかけたのです。口もとに耳を近づけると母は「泣かんでもいい、これが人生さ」とかすかに言って、また目を閉じました。しばらくしてウトウトとした私は母の姿を見て驚いた。眠っていた母がベッドの柵にすがって半身を起こし、私を見て「ありがとう!ありがとう!」と何度も頭をさげているのです。私は飛び起きて母をしっかりと抱きしめ「お礼なんか言わんでいいよ」と言うと、母は私の肩に顔をうずめ小さな声をあげて泣いた。
「死にとうない、可愛い、みんなが……」と言って!
「私たちより少し先に天国にいくだけ…待っとってな」と言うと
母は「また天国でな」と言って横になりました。
母が私たちにしてくれたことは海よりも山よりも深く広く大きい…!
ろうそくの炎が消えるように一瞬の光を放ち母は逝きました。
「みんな可愛い」の言葉を残して……。
紅葉の朝に……。

紅葉

 

言葉

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ポレポレだより「2013年秋」


〜米は宝じゃ…そじゃ〜

ポレポレだより2013年夏

私の父は米屋を営み私たち4人の子どもを育ててくれた。若い頃は東京の米問屋へ丁稚奉公に出され、ずいぶん苦労をしたようだ…。
大正元年生まれなので今生きていれば101才になっている。
私たち子どもにとっては厳しい父だった。朝、顔を洗っていると父が「苦虫をかみつぶしたような顔」で起きてくる。
私たち子どもはそんな父が怖くてサーッと逃げた。
そんな父は晩年の日々、まるで幼な子のようになり、その童子ぶりは周囲の人たちを驚かせた。とりわけ一緒に生活を共にした私たち家族はビックリするような珍事件に振り回された。

ある日、仕事から帰ると息子が浮かぬ顔で報告した「じいちゃん、いつもと違う自転車に乗っとるよ!」「アレッ…」見ると、父がいつも米を配達していた、あのがっしりとした愛用自転車ではない。「どうしたの…」と聞くと「自転車がのうなった」と言って違う自転車に乗って帰ってきている。息子が「僕、今から自転車をもとあったところへもどしてくる」と夕暮れの道を自転車に乗ったじいちゃんと一緒に走り出した。次の日もまた次の日も…息子はじいちゃんと一緒に自転車のそばを走った。ところがある日、あのがっしりとした米配達用自転車が戻って来て、玄関に鎮座しているではあ〜りませんか…。「アレ…アレ??」「どこにあったの」とじいちゃんに聞いても「ここにあった」と言うばかり…きっとじいちゃんは必死で自分の大切な自転車を捜したにちがいない。

また、こんなこともあった。家族みんなで劇を観に行った日のこと。じいちゃんを1人にしておけないので一緒に行ったが、会場に入るとあっちを見たり、こっちを見たり、少しも落ち着かず動き回る。舞台を指さし大声で「あの人は誰じゃ?」と聞く。「しーっ、静かに…」と小声で言って父の手をギュッと握った。その時、舞台の役者が客席に向かって「米は宝じゃ」と大きな声で呼びかけた。するとじいちゃんは間髪入れず「そじゃ!」と答え、手を高々とあげたのです。客席と舞台が一体になって笑いの渦につつまれた。あの日から20年…今もあの世で「米は宝じゃ…そじゃ」って言ってるかしら…。

 

 

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ポレポレだより「2013年夏」


〜おとうさんはふくろう〜

ポレポレだより2013年夏

引き出しの奥から出てきた娘からの便り……15年前に届いている。
「あれ……マァ」夫と私は、この便りを手に取りジーッと見ていた。しばらくして夫が小首をかしげながら「この小さな女の子は誰かなぁ」とつぶやいた…。「エーッ、その子は孫のチャコちゃんでしょ」「イヤァ…この子はサトコだよ!」「ヤメテクダサイヨ、この子はあなたの孫でしょ」「イヤァ…この子はサトコだ…」しばらく言い合っていると夫が指を折り、何か数えだした「そうだ!この子はチャコだ!今いくつになったんかなぁ……」「17才ですよ…」そう答えながら私も子育てをしていたあの頃にタイムスリップ。幼い日のあどけない娘の姿と孫の姿がダブってしまう。
熱を出した小さな娘を抱いて病院へ走った父さん。
「読んで…」と絵本を持ってくる娘に何度も何度も読んでやっていた父さん。
家出をして娘が帰ってこなかった夜…町中を2人でさがしまわり、疲れ果てた私に「サトコを信じてまってやろう…」と言った父さん。
娘の出産に台風の中、嵐をついて車を走らせた父さん。
4人の子どもたちは、あの日々たしかに

4羽のふくろうのひな鳥でした

 

ポレポレだより2010年冬

 

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ポレポレだより「2013年春」


〜家出坊や〜

ポレポレだより2010年冬

キラキラと輝く朝日を背に、小猫がこちらを向いて立っていた。親から離れたばかりなのか、体をユラユラさせて私を見ている。「おいで」と呼びかけると私の腕の中へ入ってきた。ふんわり真綿のような毛をした小猫を「朝日」と名付けた。前からいる茶白の猫・夕日(こちらも夕日を背に立っていたのでそう名付けた)
2匹はいつも一緒に育ち大きくなった。

 

そんなある日、朝日が突然いなくなり、何日も帰ってこなくなった。「アーちゃん…早く帰っておいで」と呼びかけてさがす私の足もとに夕日がぴったりと寄りそって
「アーアン」と呼んでいる…。10日ほどして朝日は帰ってきた。「ギャギャ」と変な声を出し身をかがめ地をはうようにして歩く。「アーちゃんが帰ってきた!」私たちはうれしさでいっぱい。さっそく風呂場へ朝日を連れて行きゴシゴシと洗った。夜、2匹は抱き合って眠っている。安心しきった平和な姿がそこにあった。ところが1週間もすると朝日はまた家出をした。
「アーちゃん帰っておいで」私の隣で夕日が「アーアン」と山に向かって呼んでいる。1週間、2週間たっても朝日は戻らない。必死で探す私たちは20kmも離れた市の保健所へ「家出坊や」の猫相を伝えお願いした。


1ヶ月も過ぎた頃、私は夜の峠道で自動車にひかれ動かなくなった猫を見つけた。体には白と黒のまだら模様がある。「アーちゃんだ!」私は泣き叫んでそばへ走り寄った。「アーちゃん…」冷たくなった猫を家に連れて帰ると夕日が近づいて来た。「アーちゃんだよ…」と話すと、ジーッと見ていた夕日が「ギャー」と1mほど飛び上がり「ギャーギャー」と大声を出した。
夫は夜遅くに帰ってきて「あれ…この猫、朝日じゃないよ…」「朝日のひたいにはダイヤの模様があるけど、この猫には無いよ…」いとも簡単にそう言った。よく見ると模様が違う。「エーッ!アーちゃんじゃないの」「じゃあ夕日が1mも飛び上がったの…あれは何??」


あの日から3年の月日が流れ、家出坊やの行方は依然としてわかりません。
みつけた方はご一報ください!

 

ポレポレだより2010年冬

金さんがいた頃から7〜8年たった子どもたちの姿です。
うしろで子どもをだいているのがわ・た・し

 

 

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ポレポレだより「2012年夏」

 



〜金さんのこと〜

 

小学3年生の頃だった。私は近所の子たちとよく遊んだ。
夕日が落ちる迄、道や川、近くの山や空き地で遊んだ。遊びほうけて帰る頃にはみんな腹ペコでトボトボと歩いて家に帰った。いつもそばにいた野良犬のペスも首をたれトボトボと私たちについてきた。
山も川も道も空き地もみんなの遊び場だった。古い建物の日赤病院裏に避難用の大きい滑り台の様なものがあった。滑ると必ずスカートやパンツが破れてしまう。破れた穴を気にして押さえて歩いた。
「また、母ちゃんに叱られる……」と、みんな思っていた。
家の近くに朝鮮人の金さんの掘っ立て小屋があった。
「ちょうせん、ちょうせん、パーカにするな、おなじメシ食ってパーカにするな…」と金さんの姿を見ると必ずみんなではやしたてた。
金さんは掛けむしろをあげると「こらーガキども」と怒鳴った。
そんな私たちを見つけると母は怖い顔をして「金さんに謝りなさい」と言った。そして1日1回、自分たちの食事をけずって金さんに食べ物を届けていた。運ぶのはいつも私……「イヤやなぁ……だって金さんの顔は黒くて口がまがっているもん……」としぶしぶ食事を運んだ。
そんなある日、金さんが母を尋ねてきた。
「姉さん……わたし本国へ帰るよ!今までありがとう」と、あの独特なイントネーションで別れを告げた。母は金さんをジーッと見ていたが「そうか、金さんが生まれたところに帰れるのなら、それが一番いいよ!」と言って涙をぬぐっていた。金さんも母に頭を下げ泣いていた。次の日、学校から帰ると、私は金さんの小屋の前へ行ってみた。「金さーん」と呼んで金さんの声を期待したけど返事が返ってこなかった。私は思いきって掛けむしろをあげてみた。小さい声でもう一度「金さん」と呼んだ。小屋の板壁のすきまから夕日がいく筋もさしこんでいた。 

 

ポレポレだより2010年冬

金さんがいた頃から7〜8年たった子どもたちの姿です。
うしろで子どもをだいているのがわ・た・し

 

 

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ポレポレだより「2012年春」

 

ポレポレだより2010年冬

〜むくむくもこもこ〜

ポレポレだより2010年冬

今年は春のおとずれが遅く、私たちと同じように木も花も動物たちも春を待ちわびていました。
少しずつ雪が消え、幼い芽が出始めると草原は「アッ」という間に緑の絨毯に変わりました。鳥たちのさえずりもにぎやかになり林の中からうぐいすの鳴き声も聞こえるようになりました。「ホーホケ」
「あれ!」「うぐいすの鳴き声もはじめは下手くそ!」
でも、一週間もするとレッスンのかいあって「ホーホケキョ」とみごとな鳴き声になります。

 

ポレポレだより2010年冬

陽射しがきもちいい朝、草原のそばの森から「かもしかの子」が顔を出しました。
鼻をくんくんさせながら少しずつ草原の中に入ってきます。
まわりを確認しながら一歩一歩……。
草原の中ほどで歩みをとめ、やわらかい草を食べ始めました。「おいしそうに…」
「春を食べて」いるのです。
親から離れてこれから一匹で生きていくのですね。

 

ポレポレだより2010年冬

山桜の花びらが吹雪のように散って短い春が過ぎると、まわりの山々は
「むくむくもこもこ」 力強く、夏に向って動き出します。  

 

 

 

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