ポレポレだより「2011年秋」


ポレポレだより2010年冬

〜ミンチカツ〜
あのなつかしい日々 Vol.4

子ども達のすさまじい食欲……
夕食にミンチカツを出した。まだ1つ皿に残っている。仕事から帰ってこない父ちゃんの分だ。
「もう1つ食べた〜い」「これちょうだ〜い」「ダメ、父ちゃんのミンチカツ…」
「わかっとる……そんでもこれ食べた〜い」あと1コ残っているミンチカツに、いつでも飛びかからんばかりの子ども達…。
「そんなに食べたいんやったら餅でも焼いて食べない!」と言うと「ワーイ」と、今度は餅に向かって突進…。
腹いっぱい食事をした後の事である。まったくどんな胃袋をしてるんだろう!この子たち…。
「そんなにミンチカツが食べたいんやったら、明日の夕食は自分たちで作って腹いっぱい食べな…」と言うと「本当にいいの?」「ひき肉どっさり入れよう」とはりきる2人の姉ちゃん達…。
次の日の夕方、職場から電話をする。「もしもし」電話に出たのは息子だ。「姉ちゃんよんで…」と言うと「姉ちゃんはミンチカツ作っとるで、今いそがしいで、ボクがかわりに聞きます」と息子は電話から離れない。
「姉ちゃんの手伝いをしなさい」と言うと「ボクやっとるよ!皿もってやっとるよ!」の返事。
「火に気をつけて」「あぶないから下ごしらえだけでいいよ、母ちゃんが帰ってきてからあげるで…」と言うと「もう、いっぱいあげてあるよ、5つも3つも4つも…」と息子…。仕事を終えてあわてて家に帰ると家中プーンと油のいい香りがしている。テーブルの上にはミンチカツがキャベツのせん切りをそえてのっけてある。「みんな食べたの?」「うん、待ちきれんて姉ちゃんたち、もう食べてまったで、ボクも食べたよ」「テスト勉強しんならんで姉ちゃんたち早めに風呂に入っとるよ…」「そうか、ありがとう。じゃあ、母ちゃんも食べるな」と子ども達が作ってくれたミンチカツを食べていると、下の姉ちゃんが風呂からあがってきて報告をした。「卵が無かったから、隣の家へかりにいったけど、隣でも卵が1コたらんくらいやでダメと言われた。仕方ないので吾朗のお年玉から200円出して店に買いに行かせたけど卵1パック260円だったのでお金が足りなくてダメ……しかたないで、こんどは上に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんの家へかりに行ったら、すぐに出してきてくれて1コじゃなくて、1パックみんなもってっていいよ…って卵をくれたよ」その報告に「そうか…それじゃすぐにでも返しにいかんとな」と言うと「返さんでもいい…あげるって」「良かったなぁ…母ちゃんもお礼を言っておくでな」ミンチカツをほおばりながら子ども達とそんな会話をした。そこへ上の姉ちゃんが風呂から出てきて得意げに「うんまいろ」と言う。「うんまいよ…でも、ちょっとベタついとるな。ひき肉の量が多すぎたとちがう?」と言うと2人の姉ちゃん
「そうかなぁ…ちょっとベタついたかなぁ」と承知する。自分でやってみてよーくわかったようだ。何を作るにも知恵や経験がいることを…。
今度うまく作れたら、あげたてのミンチカツ持っていこ〜っと、卵のお礼に!

 

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ポレポレだより「2011年夏」


ポレポレだより2010年冬

〜ほうずき〜
父とくらした日々 Vol.1

私たちの子育てを助けてくれた実家の父母が亡くなってから、長い歳月が流れました。
両親は50数年の時を共に過ごしましたが、私たち子どもの目からみると、父と母は特別に仲の良い夫婦にはみえませんでした…。でも、あの戦中戦後の食糧難時代に4人の子どもをよく育ててくれたと思います。父はその頃、小さな米屋を営んでおりましたが、友人たちと一緒に米を商う会社をつくろうと奔走していました。
父は気難しい人で、いつもシカメッ面で、笑顔など見たことがありませんでした。
でも、子どもたちは皆、近くの川や山や道などで毎日遊びほうけていました。夕方になると♪ヒャラーリ ヒャラリコ ヒャリーコ ヒャラレロ♪流れてくる「笛吹童子」や「オテナの塔」など新諸国物語に胸ときめかし、夕方になると「ガーガー」と雑音がするラジオに夢中でしがみついて聞いていました。当時の子どもたちにとって唯一の文化だったのです。
ある日、わたしと姉はラジオの前でくちゲンカをしました。そばにいた父が「やかましい」とどなり、2人の首根っこをつかむとおもいっきり壁に投げつけたのです。悲鳴をあげて泣く私たちの声を聞いて、とんで来た母が父をにらみつけ大声で怒鳴りました
「何をしんさる…女の子にこんなことをして…顔にキズでもついたらどうしんさる!」
いつもやさしい母のすごい剣幕に父は何も言えずだまって立っていました。
5才の頃だったと思う……私は母の財布から5円を盗んだ! 店に並んだ真っ赤なほうすきがどうしても欲しかったのだ。
口に入れると甘酸っぱい汁が出てきて、上手に丸い袋にするとグチュグチュと音が出るのです。ほうずきを抱きしめて、私の心はうれしさではちきれそうでした。
でも、そのほうずきはすぐに私を奈落の底へ落としました。「ごめんなさい、もうしません」どんなにあやまっても父は許してくれません。私を布団でぐるぐるまきにすると押し入れへほかりこんだのです。私は泣き叫び「母ちゃん!母ちゃん」と呼びました。遠くで母の声がしました。「アンタ、なんてことをしんさるんや…」母が押し入れの戸をすごい勢いで開け、グルグルまきにされた私を救いだしてくれました。
あの日から数十年の時が流れ……老人性認知症になった父は、最後の日々を私たち家族と一緒に過ごしました。みんなで食事のテーブルを囲んでいた時、突然私を指さし「あんたさん、どなたさんですかいな」と言ったのです。
「えーっ」みんなびっくり!「じいちゃんの今、一番大切な人やよ…」と夫が言うと、父は手を叩き「あぁ…わかった!母ちゃんや」と言ったのです。
「えーっ」みんなは又、又、びっくり!

すっかり童子になった父は、あの日のほうずきの赤い色をおぼえていたかしら?
母がむかえにきたのは、2年後の11月…同じ紅葉の舟に揺られて、あの世へ旅立っていきました。

 

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ポレポレだより「2011年春」


ポレポレだより2010年冬

〜〜私はスキーが滑れない〜〜
あのなつかしい日々 Vol.3

雪が降ると必ず思い出すシーンがある。
家族で近くのスキー場へ行った日のことだ!夫が根気よくスキーを教えてくれるので、子ども達はスキー場へ行くのが大好き!朝早くから「母ちゃん早く…早く」と自動車に乗り込んで私をせかせる。
「オーオー、張り切っとるなぁ…」
「さぁ…出発!」
スキー場に着くとみんなすぐにリフト乗り場に直行。私はいつも下の娘の子守りと弁当係「つまらん!」。スキーを楽しむ子どもと夫がいつもより格好よく見えるから不思議だ……。
ロッジの窓からは青くて美しい空が見える「いいなぁ…私もリフトに乗ってみたいなぁ」とつぶやいた時、夫が私たちの様子をみに戻ってきた。私は思わず「あっ、いいところへ来てくれた、この子をたのむ…」と言って無理矢理、夫の腕の中へ娘を押しこんで外へ飛び出した。「キャッホー!」「気持ちいい!」さっそくスキーを借りに走った…。スキーを履き、近づいてきたリフトに座るともう気分は爽快!
「♪山は白がね 朝日をあびて〜♪ 歌もうたいたくなるっうもんだぁ…」
山の上で「ヨッシャ」と声だけ威勢よくリフトから降りたその時「ハッ!」と気がついた…
「私はスキーが滑れない!」「ズーズー」とスキーが勝手に前へ動き出し「ズデーン」と思い切り転んでしまった。「どうしよう……」はるか下の方に人がいる。【ここは地獄谷】と書いた小さな標示が目に入った。「えぇっ!ここがあの地獄谷!?」
「どうやって、下まで行こう?」やっとで立ち上がったとたん、「ズーズー」とまたスキーが勝手に動き出した。止めるには転ぶしきゃない「ドデン!」と思いっ切り尻もちをついた。「痛い!」「だれか助けて!」まわりには人はだ〜れもいない…「とにかく下へ行こう!」転んでは起き少しづつ下へ降りていった。
「ザーッ」とスキーの止まる音がして「母ちゃん大丈夫?」息子の声だ!心配そうにこっちを見ている。「平気、平気」と言って起き上がろうとしたが起きれない。息子は少しづつ私に近づいてきた。「ボクのストックにつかまって!」とストックを差し出した。「ありがとう!」何とか起き上がってみたものの、また「ズデン!」「勝手に動くスキーが悪い!」と叫んだとたん「ズデーン!」息子は見かねて、ゆっくり私のそばに近づいてきた「母ちゃん、スキーは斜めにすると止まるよ」「わかっとるさ」と起き上がって「ズデーン!」
転んでは起きてを繰り返しながらやっとでロッジにたどり着いた。ヘトヘトになってスキーを外しロッジの中へ入っていくと「な、な、なんと娘をずり落ちそうに抱っこした夫がストーブのそばでコックリコックリと居眠りをしているじゃあ〜りませんか…」痛む腰をさすりさすり叫んだ!
「私はスキーが滑れないの!」

ロッジの窓から青くて美しい空が見えた!

(文)中沢由美子

 

だより

 

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ポレポレだより「2010年冬」


ポレポレだより2010年冬

〜あわてんぼうのサンタクロース〜
あのなつかしい日々 Vol.2

子育ての頃、丘の上に家があった……我が家である。
私たちのほかにだーれも住んでいない、くねくね坂をのぼった所にあった。
引っ越したその日に「クマが出ました…気をつけてください!」と言われビックリ…ドアの小さな丸い穴から子どもたちを後ろ手にかばい、目をキョロキョロさせて見ていたことを思い出す。
夜になると真っ暗になってしまうのに、なぜか友達がよく訪ねてきてくれ一緒に食事したり歌をうたったり、にぎやかな家だった。
そのうち隣に家が一軒建った時は内心「ホッ」とした。
この家で4人の子供たちは育っていった。「なつかしい思いでの家」だ。
12月になると外のモミの木にピッカピカとイルミネーションが光り出し子どもたちの待っていたクリスマス!
毎年、友だちファミリーがお酒や料理を持ってクリスマスの夜を楽しみにやってくる。
キャンドルサービスの灯りが子どもたちの目の中でキラキラと輝いて美しかった…!
絵本を読んだりゲームをしたり歌ったり踊ったり、楽しい時間は「アッ」という間に過ぎてみんなが「アリガトウ…バイバイ」と帰っていった。子どもたちははしゃぎすぎて瞼がひっつきそう。「おやすみ」と布団にもぐりこんでいく。小さな息子は眠い目をこすりながら「母ちゃん、サンタさんは僕のところへプレゼント持ってきてくれるかなぁ…」とつぶやいて眠った。用意していたプレゼントを子どもたちの枕元に置きにいく頃には私はくたびれて、玄関でプレゼントを抱えたまま転んでしまった。そして、プレゼントをそのままにして寝床へ直行…。朝まで眠り込んでしまった。
次の朝……息子の『スットンキョウ』な声で目がさめた。
「母ちゃん…やっぱりサンタさん来てくれたよ!」
「ゆうべのサンタクロースはよっぽど忙しかったんやなァ…! プレゼントを玄関にほかりこんであるもん…!!」と息子はプレゼントを抱きしめながら言った。


♪あわてんぼうのサンタクロースがやって来た♪
♪リンリンリン リンリンリン リンリンリン♪

(文)中沢由美子

 

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ポレポレだより「2010年秋」


ポレポレ

〜黄色い自転車〜
あのなつかしい日々 Vol.1

 

子育ての最中には見えないものがある……それは子どもの世界……。
年を重ねた今、過ぎ去った日々が思い出のかなたから昨日のことの様によみがえってくる。あの日の声まで聞こえてくるようで不思議だ……!
私たちは、どの子にも最初の自転車を買った覚えがない。
上の2人の子は、たしか知人からいただいた中古自転車に乗っていた。
弟が小学2年生になったある日、2人は私に言った。「吾朗に自転車を買ってやったら…!このへんの男の子たちはどの子もいい自転車に乗っとるよ!」
「そうか、わかった!2年生になったし、姉ちゃんたちの自転車で乗れるようになっとるで買ってやるよ…」と返事をし、さっそく、翌日、息子を連れて自転車を買いに出かけた。息子は肩を上げたり下げたりうれしさをかくしきれない。ピョンピョンはねながらついてきた。
子ども用の自転車は意外と値段が高かった…「あれ…」とサイフをのぞきこんでいる私を見て息子は「すまなそう」な表情で「お金ある?」と聞いた。
結局「今度、買ってあげるから…」と言って帰ってきた。私の前をしょんぼり歩く息子の小さな背中には「がっかり…」と書いてあるようで「すぐに買ってあげるから」と呼びかけた。
それから2,3日した日曜日の朝、子どもの声で目がさめた…。
車庫で子どもたちのにぎやかな声がする。
「何をしてるのかなァ…」車庫へ行ってみてビックリ!
思わず「ヒェー!」と声をあげてしまった。
段ボールを敷いた上に黄色に塗られた自転車が置かれていた。
3人は黄色のペンキのハケを持って笑っている。朝早く起きて塗ったらしい。姉ちゃんの中古自転車は黄色のペンキで塗られて「ヘンシーン!」
息子は晴れて近所の男の子たちの仲間入りだ。ペロペロキャンディーなめながらみんなと一緒に黄色い自転車をこいでいく。
ずいぶん遠くまで行ったみたい…

(文)中沢由美子


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ポレポレだより「2010夏」


ポレポレ

〜命はつながる〜

 

今年の冬は長く、春のおとずれを木も草も動物たちもみんなが待っていた。
ポレポレハウス裏の残り雪が5月の初めやっと消えた。
「さぁ…春だァ!」うきうきとした気持で草原を歩いていると、川辺に一本の木が倒れていた…「猫柳」の木だ!ヤナギ科の落葉低木で、よく川岸に自生する。
私も小さい頃、この木を「ネコネコ」と呼んで、春一番、川のそばで見つけると春を感じてうれしかった。
倒れた木をよ〜く見ると、黒く枯れた枝の先に薄緑の葉がわずかについている。1週間ほどすると、葉の上に小さな穂のようなものが突き出し、日に日に大きくなり猫の毛の様にもっこり、ふんわりした穂は絹のようにやわらかい。横たわる木は枝先にかわいい「花穂」を残していた。
私たちも子育ての時があった。
4人の子どもたちと泣いたり笑ったり共に生きてきた。時が流れて、いつのまにやら2人だけになってしまった。
思い出の品だけ私たちのもとに残っている。写真・可愛い文・絵・通信簿・テスト用紙などなど……
その上、孫たちが「おばあちゃんにあげる!」と言って拾ってくれた石ころや葉っぱまで…。
「フー」とため息をついていると私の体から何かが消えていく。「これって何…!」
夫(つれあい)は、そんな私に言った「命はつながっているんだし、いつの日か僕らも、あの木の様に倒れて土に戻っていくのだから」と……。
そして「最後は、このポレポレ病院へどーぞ。猫や犬やヤギたち優秀なスタッフが揃ってお待ちしてますよ…」と。

(文)中沢由美子

ポレポレ

 

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ポレポレハウス「2010春」


ポレポレ

〜小さき命 ペコ〜

2009年秋の終わりに、14年間共に暮らした犬が死にました。別れの日の姿を思い出しては泣き、可愛かった動作の一つ一つを思い出しては泣いていました。
ことのほかきびしく長い冬…降りしきる雪の中に心がうまっていくのを感じました。
「元気を出して…!」とみんなに励まされ私たちは一大決心をしました。
「もう一回犬を飼おう…」「どこかにいる悲しいめにあっている犬を見つけよう…」と、犬の里親になることを決めたのです。
さっそく知人の紹介で「愛知県動物愛護協会」へ申し込んだところ、数日して返事がありました。「ご希望のマルチーズ(雄)が今、豊川市で保護されています」とのこと…。
私たちは「どんな犬だろう」と胸おどらせて名古屋まで会いに行きました。
「この犬です」と私たちの前にあらわれた犬を見てビックリ……うす汚れた毛はモジャモジャで伸び放題…顔がどこにあるのかわからないほど…まるで「汚れたモップ」のような犬でした。
両耳はあきらかに病気があるらしく、真っ黒にただれて悪臭も出ています。
以前の犬からみると頭ひとつくらい大きく「エーッ! イメージと違う!」と叫んでいました。
とても多動で常に動き回り落ち着きません。「どうですか?」と愛護協会の方から聞かれても
「どうしよう…」とすぐに返事ができません。「各種の予防注射は済んでいます」「去勢手術も済んでいます」と書類を渡され「ハ、ハイ連れて行きます」と答えてしまいました。
不安な気持ちで一路ポレポレハウスへ…後部座席に犬と座った私は不安的中…おしっこをひっかけられてしまいました。ガラスごしに過ぎていく町を見て泣きさけぶ姿があわれでなりません。「もうすぐ着くから」となだめすかしやっとのことでポレポレハウスに着きました。
翌日、近くのペットサロンへ行き、シャンプーをしてもらうと驚きました……汚れた毛の下からガリガリに痩せた犬があらわれたのです。
「かわいそうに、ひもじかったんだ…」「3才くらいかしら?」
この子が今までどんなめにあってきたか想像がつきます。「もう大丈夫!」と何度も話しかけ
身体をなでてやりました。
ポレポレハウスの先住者、猫のユーちゃんは「猫パンチ」一発!かませ出迎えてくれ、ヤギのゆきちゃんは頭突きで応戦…でも2匹はしばらくすると静かにやさしく鼻をすり寄せて迎えてくれました。
猫のエサはよこどりするし、ヤギのうんこを食べるし、自分のウンコも食べるし、この腹ぺこ犬に、私たち(2人と2匹)は 満場一致で「ペコ」と名付けました。

(文)中沢由美子

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